TOP138号:戦乱と循環

2024年02月29日 木曜日 138号:戦乱と循環     (  )

信長・秀吉・信玄・謙信…彼らに代表される戦国時代の動乱は、豊臣秀頼と徳川家康によって
終止符が打たれました。言ってみれば、応仁の乱:1467年大坂夏の陣:1615年の約150年…
一世紀半に及ぶ断続的な騒乱の時代でした。

ある推計によると、1400年頃の日本の人口は900万人±程度と言われ、1550年頃に1000万人を
越えたのではないか?とされている様です。各種の推計では1600年頃に1200万人を越え、更に
50年後の1650年頃には約1800万人、その50年後の1700年頃では2800万人まで増加した様です。

整理すると、1400年からの約150年間で、約100万人程度の人口が増えたのに対して、その後の
150年間での人口は2.8倍になっています。特筆すべきは1650年〜1700年頃にかけての時期で、
あくまでも推計上の数字ですが、おそらく1000万人もの増加があったことになります。

推計は推計であり、どの推測値を採用するかは大切な視点ですが、より重視されるのは、各種の
推計も増加傾向には大きな差異を見出し難いことで、この人口増加が戦乱期の終結に依拠して
いることは否定できないと想います。戦争は大量消費であり、それは浪費でもあるからです。

日本の金属の産出・生産量は戦国期に著しく増加したとの報告があります。金・銀は通貨として、
鉄は主に武器・武具として。銀は当時の国際通貨でしたので、輸入品の対価として大量に海外に
流出した様です。鉄は現在でも産業や生活面の骨格と言えるのですが、武器に大量消費された
戦国期は民需には高嶺の花でした。これは油も紙も布も米も炭も…その他の多くが同様でした。
そして、最も無益な浪費を被ったのは、おそらく人命だったはずです。

ドストエフスキーの「罪と罰」の台詞には「人を一人殺せば人殺しだが、数千人殺せば英雄…」とか、
チャップリン「殺人狂時代(1947年)」では、「一人を殺せば殺人者だが、百万人を殺せば英雄だ」
…などと、それが本来の目的であったかの様に、戦争は生命に膨大な消耗を強いてきました。

例外としての島原の乱を除けば、夏の陣以降幕末まで万人単位での戦乱・抗争はありません。
その結果は現代の日本が、日本らしさとして認知される文物の醸成に費やされました。鉄砲や
刀剣に使われなくなった鉄は農具・工具となり、戦地に行かなくなった人手が高効率な道具を
手にすることで生産力は高まり、余剰生産物は経済を潤しました。生産された多くの消費財は
戦乱の前線ではなく市中に増加した庶民の生活の糧とも的ともなる循環が産まれました。

浮世絵も歌舞伎も蕎麦・江戸前寿司・鰹節・濃口醤油・繊維業・工芸品…江戸期、特に中期以降
に原型が整えられ、化政期を契機として発展・改良が加えられ、近代に至ったとされています。
大坂の陣以降の非戦乱期間が現日本の支柱の一つであることを否定するのは困難でしょう。

しかしながら、江戸期の1750年以降の人口は幕末に至るまで大きな増加を見ずに経過します。
明治初期で約3300万人との数字が残っているそうです。海外との商業ベースの貿易を断たれて
いた江戸期国内の総生産量では、三千万人程度の総人口がキャパだったのかも?しれません。

身分制度があり、社会秩序も異なり、反面では医療の知識・手段は現代には及びもつきません。
物資移動にも現代の様な利便性・迅速性を持たない江戸期に、大都市とその近郊では資源の
不足が起こっても当然の状態でした。今なら足りない物は輸入する事も不可能ではありません。
でも、当時は冷凍も無理でした。しかし江戸の街は世界でも屈指の大都市に成長していました。

高島正憲氏の「賃金の日本史」では1750年頃までには都市としての江戸の町の人口は110万人
を越えていたとされています。事実であれば、1位常連の北京に並ぶ数字で、ロンドン広州
凌駕していたかもしれません。これら4都市に続くのがパリイスタンブールの2都市の様です。

生鮮品は四里四方とも言われ、8km〜12km圏内での消費・移動が行われたことからも、江戸は
閉じた消費圏だった様です。木屑拾い・紙屑買い・古着屋・金属製品修理の鋳掛屋・磁器や漆器
の修理は焼継、交通・運搬手段の牛馬の糞は路上から回収され、人糞と共に近郊農業の肥料に
廻り、使用限界に至った布や木材は燃料となり、そこで出た灰も肥料や釉薬に利用されました。
産地名が剝き身の別名となった青柳や蛤・浅蜊・牡蠣の貝殻は焼かれて漆喰:貝灰(消石灰)へ
…等など、江戸は5R(リデュースリユースリサイクルリペアリターン)の循環型社会でした。

当時の長屋のゴミ箱には砕けた陶片くらいしか無かったそうです。循環型社会は300年前の江戸
では日常になっていた様で、その5Rの反映として、市街地の衛生面でも他国の大都市に比して
別格だったと言われます。足らぬ足らぬは工夫が足らぬへの率先垂範…でしょうか?

 

 

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